「前向きに」と言われるけれど…
凹んでいるときに「前向きに考えて」「ポジティブになって」と言われることで、さらに苦しくなることがある。
人生には波があって、いいときもあれば悪いときもあるのが普通。
そして幸せなときには、人はつらかったときのことを忘れて他人にアドバイスしがち…。
でもつらいときに、無理やりその気持ちを押し殺して前向きになるのはとても苦しいもの。
そして、それが心にとって健康なことだとも私には思えないのである。
ポジティブになれない人はダメな人?ネガティブな感情は悪?
私は若くで父を亡くしました。
当時大学生だった私に他のゼミからまわってきたアンケート。
「あなたの人生で一番つらかった出来事は何ですか?」
「今ではその出来事が起こってよかったと考えられていますか?」
当時の私にとって(今でも)一番つらかったのは突然の父の死。
父が亡くなってよかったなんて考えられない。
つらかった出来事をまったくポジティブに考えられないと回答した私のアンケート結果は、「物事を前向きに考えられない心の弱い人」。
父が亡くなったことに悲しんでいる私は、そんなにダメな奴なのか…。
悲しい気持ちや苦しい気持ちこそ、私が父を愛していた証ではないか…。
つらいという気持ちに蓋をしたって、その感情がなくなるわけじゃない。
なかったことにされた感情は、一体どこへいけばいい?
ネガティブな感情だって、私たちの大切な感情。無視してなかったことにすればいいとは思えない。
つらい気持ちを無視しないで、自分の中で受け入れることで消化していけるのではないか…。
そしてすべての出来事を美しく脚色して人生を彩ろうとするのは、私にはわざとらしく感じる。
「あのことだってよかった」「つらかったけど意味があった」すべてに意味づけしなければならないのか…。
父の死もその後経験することになる流産も私にとってはつらい経験。
「あのとき父が亡くなったのには意味があった」「お腹の子の心臓がとまったのも意味のある経験」などととらえられるはずもない。
何年経ったって、つらい出来事である。
ネガティブなときもあるほうが人間らしい
私は、いつも不自然にポジティブでいる人を見ると、かえって不幸なオーラを感じます。
自分では隠しているつもりでも、カラ元気は周りからはバレバレだったりする。
「本当はつらい感情に蓋をして、『ポジティブな自分』を一生懸命作っている人」に見える。
それよりも、たまに素直に沈んだり凹んだりしている人のほうが人間らしいと思う。
私は、人の魂はうれしい気持ちや楽しい気持ちと同じように、つらい気持ちや苦しい気持ちも経験するために地球に降り立ったと思っています。
とことん凹んだあとは、人は自然と前を向ける。そういうふうにできている。
だからつらいときは、とことん凹んで、ネガティブになって自分を甘やかしてあげればいい。
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